ひょんひょろ

大ウサギにとってヒョンヒョロはとてつもない価値のあるものだから、仮に「返して」といったところで無意味であると大ウサギは考える。圧倒的な科学力を行使して取り返すのは、無礼である。だから大ウサギなりに人間世界を観察して、”誘拐”という方法を発見し、それを使うことに決めた。 この部分が個人的には深いと思う。つまり、異なる文化が交わる際に、自分としては最大限の敬意を払い、礼節を尽くしているつもりではいても、その受け手側にしたら違和感や不満を感じずにはいられない。実際のところ、ウサギがもっと人間世界を観察していれば誘拐よりいい方法も見つかったに違いない。しかし、そんな時間も興味も元々とない、というのがウサギの(決して口に出すことのない)本音だ。彼は彼なりに努力したのだ。ただ熟慮の末行動したところで、真意が伝わるとは限らない。大ウサギの落ち度は、「隠れた努力」に対する理解の欠如からくるコミュニケーションの行き違いに対してフラストレーションを感じてしまった点だろう。まぁ、そんなもんだろう、とも思う。