サービスと甘やかしの境界

アメリカ人が日本に来るとそのサービスの良さに感動し、日本人がアメリカに来るとあまりに雑なウェイトレスに言葉を失う。この違いの理由は多くあると思うが、そのウチのひとつが、”サービス”という概念をどう捕らえているかの違いなのではないか。
例えば、アメリカのマーケットには必ずといっていいほどレジの外にもう一人、商品を袋につめる係の人間がいる。日本での、自分で袋に入れる過程に慣れている我々にとっては過剰なサービスに映る。他にもアメリカの小中学校では生徒は教室を掃除しない。教室を掃除するのはそれ専用の掃除夫がいるのだ。これもまた我々の価値観では甘やかしにうつる。しかし、このような過剰なサービスが存在する一方で他方では雑で客の事を考えないサービスが存在するのは何故だろう。
ぶっちゃけ良く分からない。ふと思ったのはアメリカでは、サービスというのは、本来存在するはずの負担を軽減させるという意味合いが強いのではないかという事。あるいは奴隷制の歴史故に、”奉仕”という概念へのネガティブなイメージが強すぎるのか。んー。
あとサービス関連で、とりとめも無いのだが、LAXにおける行き先表示をもっと細かくしてほしい。"Arrivalはright lane"みたいなのに何度騙された事か。あれ、絶対工事の人間も、あの看板を設置した時点で若干舌っ足らずなの分かってて、”でも俺の責任じゃないもんねー”ってしらばっくれたに違いないと思うんだ。だってそうじゃなかったら、あんな混乱する看板がそのまま残っているはずが無い。誰かまじ直してあれ。