脚本を書き終えて

12分の短編といえども脚本をかくのはむずかしい。人に聞くところによると、アカデミー短編賞を取ったGod of Loveは脚本製作に二年掛かったそうな。たかだか20分の短編に二年費やすのは、言うほど簡単ではない。長い間に様々な書き直しを経て、しまいに物語のエッセンスを見失ってしまう事もよくあるのだ。
よくある事のなのだが、脚本を書く前は「これは完璧だ!」と思っていても実際に書き始めると様々な壁にぶつかり、結局頭を痛めてしまう。というかそうでない時がない。果たしてどうしてそうなってしまうのか。
往々にして、映画がビジュアル・ストーリーテリングとして機能していないという、割と基本的な問題に直面してしまう。つまり、何が起こっているかを登場人物に語らせたり、あるいは主人公がやらなくてはならない事を口で説明したり。今回の場合だと、主人公が物語の後半で髪の毛を染めなくてはならないのだが、その理由の説明のされ方が唐突なのだ。そんでもって主人公はそれをすぐに実行する。本当は、髪をそめるか、そめないか、の葛藤を描ければいいのだが、なぜか第一ドラフトでは描けないのだ。
ビジュアル・ストーリーテリング関連で言えば、マッチカット等の映像テクニックを脚本段階で入れる、というのも今ひとつ出来ていない気がする。2001年のような、まったく異なる二つの物を編集でつなぐあれ。
もう一つよくブチ当たる壁が、stakeをいかにあげるか、という課題である。ハリウッド映画の基本ではstakeは高ければ高いほど良いとされている。ところが、このルールを脚本に反映させるのは一筋縄ではない。stakeが高い、というのは何か。それは、主人公の目的が達成されなかった場合に主人公の身に起こる何かが、本人にとって深刻であるという事だ。で、安易な学生脚本の場合、”深刻な何か”というのは”死”であり、勿論それは人間のありとあらゆる問題の上で最も深刻なものではあるのだけれど、それの多用は安易な脚本を産んでしまうのである。
じゃあ深刻な何かとは何なのだろう。それは、主人公にとって大事な物とは何か、を考察すれば自ずと浮かび上がってくるはずだ。家族?大事な人との関係?大事な人の信頼?自分の地位?作家として、これをもうひとつ考える必要があると思う。ちなみに、大事な人の幸せ、というのもあるが、これはこれでストーリーにしにくいのだ。とくにアメリカのオーディエンスは、必要以上に自己犠牲的なキャラクターに感情移入しないような気がする。しかしながら、主人公が自己犠牲的になるストーリー、つまり、大事な人の幸せこそ一番大事、と後々気付くというストーリーは好まれるから、まったく良く分からない。
あと良くあるのが、シーンが変わっても物語が進まないパターン。理想の脚本では、シーンが変わるごとに物語がグッと進むべきなのだが、どういうわけかそうならない。自分がよくやるのは、問題提起ー解決、問題提起ー解決、というパターンを繰り返してしまうという間違い。これを堂々とやっているのが「her」なのだが、それはまあいいとして。
とまあとりあえず、書き終わりのテンションでの、とりとめのない備忘録でした。