マラルメの芸術論と現代映画

マラルメは、ワーグナーのオペラに対する批判において、芸術には「宇宙の中の縦横にひかれた観念の、うねうねとくねって停まる事の無いさまざまな変化」を定着させる隠れた目的を持つと説明した上で、音楽の持つポエジーを根源的に描き出す力を認めつつも、詩人の立場から、その目的を最高度に達するのは文学であると力説していた。
彼の時代に映画という表現は存在していなかったけれど、もしマラルメが今の時代にいたら、我々映画制作者は彼とどのような論議をしていけばいいのだろうか、と考えてしまう。自分の経験から言えば、映画を見ていて感じる詩情の最高のものをあえて説明するならば、”フィクションによる倒錯からくる幻想感覚”なのだけど。ただこれは、理解されにくいというか。自分だって、もし友人がこれを別の芸術で力説してきたらちょっと引いてしまうのが分かってしまうぐらい、異様な趣味だというのは自覚しているんですけど。
もちろんこの至極曖昧な、”映画が浮かび上がらせる幻想感覚”が無くたって良い映画はいくらでもあるので、そちらをひとまずは追求していけば良い訳だ。変態って辛いね。