乾坤一擲

映画を作っていると、だいたい三回ぐらい詰むタイミングがある、というのが、曲がりなりにも中学高校と映画を撮ってきて学んだ、数少ない事実というか自分なりのパターンである。で最近はちょうど第二の扉の前で右往左往している状況が続いていた。
第一関門は始めの第一歩で、これは、その後の数ヶ月自分の時間を費やす何かを決めるわけだから慎重にならざるを得ない。第三は最後の編集の時につじつま会わせしていると大概どこかおかしいところが見つかってそれの修正が意外とキツい。
今直面している第二の関門っていうのは、制作を初めて以来無秩序に溜めて来たアイデアのせいで霞んで来た、映画の全体像を、はっきりさせる過程である。これをしないと、ストーリーに骨格が無くなってしまう。おそらくこの過程から逃げたせいで作品としての秩序を失った代表例が「さらばジュピター」なのではないかと思う。
とりあえず今日はそう、逃げたらあかん日であったのだ。というわけで、ぐっと今一度映画を定義しなおした。一枚の紙に、綺麗に収まるように。簡潔なストーリーと、象徴する4枚の絵が。
まだ門は開ききっていない。ただ鍵は開いたと思う。もう一押し。