金枝篇(上)

古代のイタリア、ネミの森に伝わる祭司殺しの伝承。森の片隅にそびえる黄金の木の枝を追った者のみが祭司の殺害を認められたという言い伝えを、近代、古代を問わず世界中の儀式や思想と比較検討しながら、それらの宗教的、信仰的な意義を明らかにしていく、長編論文の初心者版。
幾多の文化人類学の学術的論文の中でもかなりの異色。この本がこれほどまでに異彩を放っている理由は大きく二つ。一つは20世紀芸術への計り知れない影響を与えたという事実。もう一つは、おそらく著者の意思とは関係のないところで、20世紀における人類学の方法論の二大勢力の最前線に立たされてしまったという点。一つ目の理由はともかく、二つ目の理由はこの作品にとってはある種の呪縛であり、あまり好ましいことでは無かったはずである。しかしながら、歴史というのは不思議なもので、人類学者達によってやり玉にされたというまさにその烙印が、今21世紀になって、この作品のカリスマ性を高めているように思える。
この上編で、フレイザーは主に”王”の持つ神聖と、その両義性を明らかにしている。そして、未開社会に置いては、王は絶対権力なのではなく、その共同体の象徴そのものであるため、共同体の状態如何によっては、人々の憎悪の対象にいともたやすく変質してしまうという点を強調している。共同体が良い状態であればそれは王が良いからであり、ある程度共同体が危機に晒されると、不幸の根源として王が凶弾される。そういったシステムには現代的な権力構造はいっさい存在しない。つまり、原始的社会で生を営む人々は、王を”抗う事の出来ない運命”が擬態した存在だと捉えられていたのだ。そして、彼らに取って抑制の利かない現象の中でもっとも切実だったのが、気候と植物であったために、世界中多くの国での植物神の信仰が普遍的であるというのである。
神聖というものについて、キリスト教的ハイエラルキーの宗教観とは異なる解釈がなされているから、21世紀の今読んでもなお、一つ一つの示唆が新鮮で興味深い。加えて、膨大な参考文献一つ一つがユニークなので読んでいて退屈しない。方法論的な過ちがあるとしても、それを補って余ある威厳が満ちあふれている傑作であります。

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: ジェイムズ・ジョージフレイザー,James George Frazer,吉川信
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/01/01
  • メディア: 文庫
  • 購入: 4人 クリック: 111回
  • この商品を含むブログ (54件) を見る