ラヴェルのオタク精神

ラヴェルの譜面は常に仔細な指示で埋め尽くされており、まるで精巧時計の設計図のような複雑さと美しさを兼ね備えている。これは19世紀後期の、ヴォードレールやオスカー・ワイルド等、世紀末のデカダンの最盛期で、「自然が芸術を模倣する」とまで言われた時代の影響があり、ラヴェル本人もまた機械に対しての少なからぬ偏愛があったからである。ラヴェルの父が機械工だった影響も大きい。
彼の精密さへの傾倒は、生来のものではない。若かりし頃のラヴェルは演奏も叙情的で、むしろその後の彼とは正反対の人間であった。なぜ彼は変わってしまったのか?その答えはジャンケルヴィッチが自身のラヴェル論の中で示唆している。「彼は自分について語らなくていいように物について語るのである」。またラヴェルはとある貴婦人にこう言っている。「私は綺麗な女性より、綺麗な機関車を愛します」。
要するに鉄ヲタであり、それだけでなく、音楽に関しても分かりやすいぐらいにオタク心理を持っているからだったのだろう。繊細すぎる幼少期のラヴェルは、傷つくのを避ける為に、不完全な人間に絶望して、完璧な美を備えるように見える音楽に傾倒していったのではないか。改めて聞くとボレロとかも、それぞれの楽器が一つ一つの歯車で、それぞれが完璧に相互作用しているような美しさがある。
とは言え個人的にはあまり好きなタイプの音楽ではない。機械的で、叙情性に欠ける。それはやはり、ラヴェルが自己を晒さなかったからだと思う。前から感じていたドビュッシーとラヴェルの違いが、少し分かったような気がする。