知行合一

感謝祭ことThanksgivingを明日に控え,本日より5連休です。体力的な限界を突破し続けざるを得なかった11月の中でこの連休は本当に嬉しい。自由がこんなに甘美なものだとは知らなんだ。やる事が無い、というだけで脳内物質・バリン・ロイシン・イソロイシンが脳内を駆け巡ります。
突然ですが、自由、と聞くと丸山眞男の「である」ことと「する」こと、を思い出す。自由「である」という状況に甘んじて、本当の意味で自由を行使(「する」)できていない、当時の日本の実りの無い近代化を批判する内容だった。「する」自由の価値を理解し、その恵みをもっとも享受していたのは、アメリカであっただろうし、今でもそれは変わらないのだろう。今思えば、アメリカに来て以来、常に感じる違和感や価値観の摩擦の原因の一つが、この「する」自由が持つ威信と、それを行使する人々の自負である気がする。
日本では変態扱いされかねない活動家や啓蒙家が、当たり前のように存在し、煙たがられるばかりか、時には一目置かれることもある。自らを主張し、自分のペルソナを積極的に造り上げていく。建前と本音ではない。鮮やかに飾り付けた建前は、あくまで自分自身であるという信条。飾り付ける事を恥とも思わない。「する」自由のもとに正当化しているからだ。
「する」自由に慣れるかどうか・・・これがアメリカに於けるカルチャーショックを乗り越える一つのスタンダードである気がする。
さて、とりとめも無い話は於いといて,アニメ制作の話。
爆発シーンが以外と難しい。煙や雲は人間の動きに比べれば描きやすいと考えていたのでこれは少しショック。はじめはガメラ3の渋谷炎上シーンをトレスして動きを参考にしようと思ったのだが、いざ実写を線画に直してみると、全くもっと迫力が無くなってしまうという事実に気づく。やはり特撮とアニメは似て異なるものなのだと実感。試行錯誤の結果、自分のフィーリングでとりあえず描いてみる、ということになりますた。
どうなることやら。